バイオ+街 建築家になれなかった私が生き物の力を借りて街にとりくむとしたら

2016年 2月の21日に科学とアートのフィルムフェスティバルBIO·FICTION 特別企画で5分間トーク(ピッチ)しました。http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/bio-pitch/ 私のテーマ「バイオ+街 建築家になれなかった私が生き物の力を借りて街にとりくむとしたら」でした。 まとめるとこういう内容でした。 インタラクティブアート、インタラクションデザイン、UXの仕事をしてきた私が、街(の風景や体験)に取り組もうと考えた。IoTやモバイル機器だけでなく造園、ランドスケープと人の関わりを調べる中でパイオニアたちの仕事に出会った。ここで様々なアプローチがそれぞれの分野であることがわかりましたが、自分が作家として、デザイナーとしていまできることは、それぞれの分野の中の職能をきわめることとは違うと考えた。例えば、interventionのコンセプトは、インタラクションの研究、活動だけでなく、アート、ランドスケープを通じたコミュニティ作りにつうていしたものだ。今回はバイオがテーマなので、そのなかでもゲリラガーデニングの話をします。ボトムアップの力で街の風景に関わろうとする人々のアクションだった。まず最初に自分の見識と経験値をあげるために短い時間でゲリラガーデニングをしようと計画している。 ピッチを終えて、他の発表と比較すると、私の発表、またそこで企画したゲリラガーデニングも、バイオ技術とそれに関わるデザイン、アートの世界と少し立ち位置が離れているように思います。 かつて私がインタラクティブアートに興味を持ったときにはその多くは研究室や専門家がメンテナンスする美術館の中にあるものでした。街の風景や体験を作りたいと考えた私は無理やり自分の作品を街の広場に持ち出しましたが、 数年前に博士課程のプロポーザルのため、人をつなげるという私の作品のテーマがどのように世の中で実現されているのかをできるだけ広い分野で調べました。 私が生き物を扱うことにどんな意味を見つけられるか、ヒントがありました。以下のヒントは、私の植物の個体、公共の場所のありかた、といったテーマと一見離れていて、さらにDNAのような分子レベルの話を前提としているのですが、しかし生き物全般とデザイン、アートのかかわりについてヒントになります。 BioInfomatics(生命情報学)の研究者の発表 生命はコンピュータのプログラムのようにリセットできない。完全に制御できない前提で取り組むものだ。(藤村による勝手な翻訳) 岩崎秀雄先生 生物学的対象としての生命と、情動的体験的な関係、対象としての生命があり、この関係をメビウスの輪のように循環させるのが(岩崎先生にとっての)生命美学であり、アートだ。

金沢21世紀美術館で開かれている展覧会Ghost in a shellの関連イベントで展示

金沢21世紀美術館で開かれている展覧会Ghost in a shellの関連イベントで実は先週末展示していました。 遺伝子に隠された情報を繫がりの鍵として集まる人々の様子。。をSF詩的に描いた作品です。私は”遺伝子の中の情報を読み取る”というという体験を作りました。もちろん実際には遺伝子を読み取ることができないモックアップの機材を作ったのですが、未来にはこのようなガジェットを使った人の繫がり、集まりがあるのではないか、そう信じたメンバーたちのグループ作品です。 夏に参加したバイオアートハッカソンのチームメンバーでの参加でした。作品写真など手に入れたらまたアップします! キュレータの Yohsuke Takahashiさん、ハッカソンのチャンスをくれたBCLの皆さん、作品Family Reunionチームの皆さん、そして協力してくれたうちの家族、ありがとう! https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1726

スマートシティはもっとリーンスタートアップ(無駄のない、はじめたてのベンチャー企業)のようになるべき

こんにちは、 私は、ここ7、8年、情報家電のユーザ経験デザイン(UX)の仕事を中心に活動してきましたが、もともとは建築デザインとメディアアートの活動をしていました。街をもっとインタラクティブに、人に反応する環境にしたい、という思いからこのようにキャリアを転々としてきましたが、ここ数年は、具体的に街の空間を作る仕事を手掛けたいと、準備をはじめました。 今は丁度クリスマス前で、インタラクティブなイルミネーションやプロジェクションマッピングなど、街の空間と私たちがやりとりできるようなエンターテイメントがニュースになっています。 一方で、こういった技術やテクニックが、日常の街の一部としてどう役立つのかは、まだ未知数です。ここに私は挑んでみたいと思います。 今日はひとつ、スマートシティを、スタートアップ企業のやりかたを参考に作り上げようという記事の翻訳を読んでいただきたいと思います。スマートシティとは、ここ数年は日本の状況もあって、電力グリッドなどのインフラについてのことという印象がありましたが、この記事では街に住む人の生活に焦点を当てています。 ではどうぞ! 以下は、この記事を私が翻訳してみたものです。 Smart Cities Should Be More Like Lean Startups by Boyd Cohen http://www.fastcoexist.com/1680269/smart-cities-should-be-more-like-lean-startups 動きの早い企業の最新の理論から、未来を目指す街は何を学べるか? まず、Eric RiesのLean Startupを読んでいない人に説明すると、その基本コンセプトはこうだ:スタートアッププロセス(ベンチャー企業をはじめるときのプロセス)について今までなされてきたことは、すべて間違いだ。長いビジネス計画を書いたり、初期の資金を集めたり、1年くらいかけて初期の試作品を作ったり、、これらの代わりに、最小限の実行可能な製品(minimal viable product, MVP) を中心に、繰り返し試したり、継続して学んだりするようなやりかたを支援すべきなのだ。早い時期の顧客の反応に応じて製品、サービス、またはビジネスモデルを継続的に調整したり、また時には大きく変更することで、スタートアップ(ベンチャー企業の初期のこと)はその成功の見込みを良く出来るし、もし失敗したとしても、より速く、より損害を少なく失敗できることになる。 私は過去数年、持続可能な都市と、スマートシティに没頭してきた。そういうわけで、Lean Startupとスマートシティの概念をどうやったら結び付けられるか、自然と考え始めたのだった。 私にとって、Lean Cityというアイデアは、Smart Cityの考え方と相補的(互いに補いあう)ものだ。Lean […]

Joined “Speculative Design Workshop” of Yusule Ushigome.

http://wired.jp/2015/05/20/arbitrary-future-f/ 推測のデザイン(Speculative Design)に取り組んだシナリオです。 画像:自分が食べる鶏から送られてくるメッセージ。 養鶏場はいらなくなった。 ベランダのエアコン室外機の隣にある可愛いボックスがうちのにわとりだ。卵をボックスにいれると、最後には食肉になってでてくる。 外から中を見ることはできない。 このなかには確かににわとりのQちゃんがいる。 うちの長男が名付けた名前だ。 長男は毎日ゲームの世界でQちゃんと冒険をしているそうだ。 Qちゃんはボックスの中にいるが、VRで広い世界に繋がっている。毎日うちの長男と草原を駆け回り、良いドラゴンとして火を噴き、お姫様を長男と一緒に助ける。 そしてある日、Qちゃんは私たち家族に別れを告げる。いろいろな思い出と一緒に、私たちはQちゃんをローストして食べるだろう。 長男は、Qちゃんは悪いドラゴンの炎に敗れたのだという。 自分が食べるものと自分はどのように関わるべきか。 家の庭に鶏入りボックスがあり、子供はVRを通じて鶏と精神的レベルの交流を図る(ここが泣ける部分だと思う)。しかし本来の、大人的な目的は新鮮で安全な鶏肉の供給であり、別れは必ずやってくる。 *6月に参加した牛込陽介さんによるワークショップで3人のメンバーTsuyoshi Ieta Minori Fujii Yasushi Takamatsuと共に半日で作りあげた未来の仮説です。 http://wired.jp/2015/05/20/arbitrary-future-f/ *課題は、以下の2つをヒントに任意の未来を描くこと 1)養鶏場の鶏のためのVRの記事 http://techcrunch.com/…/an-oculus-rift-for-chickens-gives-…/ 2)takram社のデザイン方法のひとつ、拡大・縮小 *鶏肉をマスプロダクトとして作る工場である養鶏場が、個人用の箱になって家にやってきたらどうなるか。 *VRの世界で鶏がその精神的健康を維持する、という研究をヒントに、鶏達が子供達の冒険の友となるVRゲーム世界を想定した。 *鶏が大人になることは、人間の食卓に乗る時期が来たということであり、ゲームの世界で子供は鶏と別れなければならない。 *自分たちが食べる相手と精神的なつながりを得るとは、どういうことなのか、単に辛いのか、あるいは、それはあるべき姿なのか。